性癖という言葉には、
どこか「恥ずかしいもの」「歪んだもの」という
イメージがつきまといます。
人に言えない。
分かられてはいけない。
【自分でも、気づかないふりをしてきた。】
そうやって、奥に押し込めてきた人も
少なくないのかもしれません。
でも、わたしは今、
性癖をまったく違うものとして感じています。
それは、
心の奥に沈んでいた「本当の気持ち」が、
【どうにか外に出ようとして】
形を変えて現れたもの
だったのかもしれない、という感覚です。
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■ わたしが「性癖=願い」だと感じるようになった理由
ある体験のあと、
わたしは、不思議なほど静かな状態になりました。
何かを考えようともせず、
未来の不安も、恐れも浮かばず、
ただ、自分の身体がベッドに触れている感覚だけを
はっきりと感じていました。
「わたしは、ここにいる」
そう、身体そのものが
【考える前に】教えてくれているようでした。
怖さも、焦りもなく、
ただ、ほっとしている。
何者でもなくていい。
役割も、期待も、背負っていない。
何色にも染まっていない、
無色透明な「わたし」に
一瞬だけ戻っていたのだと思います。
そのとき初めて、
安心とは「何かを足すこと」ではなく、
【何も求められていない自分に戻ること】
なのかもしれない、と感じました。
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■ 性癖がしていたのは「感情を出す」ことだった
その性癖は、
ずっと言えなかった感情を、
言葉ではなく、身体で表現させるものでした。
苦しい、という感覚。
寂しい、という感覚。
日常では
飲み込むしかなかった感情が、
身体を通して、外に出ていった。
【自分でも気づかないうちに、
出口を探していた】
のかもしれません。
わたしにとって性癖は、
快楽そのものというよりも、
感情を外に出すための
ひとつの通路だったのだと思います。
大切だったのは、
出たかどうかではなく、
【出てしまったあと、どう扱われたか】でした。
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■ 見捨てられなかった体験が、安心に変わったとき
感情を出したあと、
そこには拒否も、否定もありませんでした。
そのままの状態で、
見捨てられなかった。
それだけで、
長いあいだ張りつめていたものが、
静かにほどけていきました。
それは、心だけでなく、
身体にも現れました。
・お酒の量が自然と減った
・夜、無理に気を紛らわせなくなった
・身体が軽く感じられた
・仕事の場でも、
必要以上に気を張らなくなった
「安心したら、人は壊れる」のではなく、
【安心したから、守る必要がなくなった】
のだと、そのとき実感しました。
安心は、
生存のために必死で頑張り続ける世界から、
少し距離をとるための、
【合図のようなもの】だったのだと思います。
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■ 体験を通して思ったこと
性癖は、
心の奥に沈んで、言葉にできなかった
本当の気持ちを、
いちばん無理のない形で外に出して、
【自分自身に知らせる】
役割をしていたのかもしれません。
問題だったのは、性癖ではなく、
【安心できる場所がなかったこと】
だったのかもしれません。
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本当の自分と、
もう一度出会わせてくれる性癖もある。