性癖は、どうして“願い”の形になったのか
■ 言葉にできなかった感情は、どこへ行くのか
孤独感。
虚無感。
寂しさや、悲しさ。
それらは本来、
感じてはいけないものではなかったはずです。
けれど、日常の中で
それを受け止めてもらう場所も、
そのまま出しても大丈夫だと思える相手も、
ありませんでした。
誰にどう伝えればいいのか分からない。
言ったところで、どうなるのかも想像できない。
だからわたしは、
それらの感情を
「なかったこと」にしようとしていました。
お酒で誤魔化す。
漫画の世界に没頭する。
考えないように、
感じないように努める。
ちゃんと生きていくために、
そうするしかなかった
のだと思います。
でも、
飲み込んだ感情は、
消えてはいませんでした。
行き場を失ったまま、
ずっと内側に
溜まり続けていたのです。
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■ わたしの場合、それは“性癖”として現れた
外に出られなかった感情は、
あるとき、別の形で現れました。
わたしの場合、
それは
呼吸が制限される状態を受け入れること
でした。
窒息すること。
苦しさを、
そのまま身体で引き受けること。
そこでは、
「苦しい」「つらい」と
説明する必要がありませんでした。
ただ、
苦しい状態があって、
それを拒否せずに
身体で引き受ける。
涙が出て、
よだれが出て、
身体が勝手に反応していく。
それは
壊れたいという欲ではなく、
言葉にならなかった感情を、
考えずに外に出せた
瞬間だったのだと思います。
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■ 苦しさを選ぶとき、心は何をしているのか
人は、
本当に行き場のない感情を抱えたとき、
「苦しさそのもの」を
求めているわけではありません。
求めているのは、
外に出られなかった感情を、
いったん、外に出しきること
なのかもしれません。
悲しさ。
寂しさ。
どう表現していいか分からなかった気持ち。
それらを受け止めてもらえる場所がなく、
言葉も持たなかったとき、
心は別の経路を探します。
わたしの場合、
それが
身体を使った表現でした。
説明しなくていい。
理解されなくてもいい。
ただ、
感情が外に現れる。
それは逃げではなく、
溜まりきったものを
流していくための
方法だったのだと思います。
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■ 性癖は、問題ではなく“反応”だった
あとから振り返ってみて思うのは、
あれは
「おかしな欲」ではなかった
ということです。
歪みでも、異常でもない。
言葉を持てなかった感情が、
身体を通して
やっと語り始めただけでした。
寂しいこと。
苦しいこと。
ひとりだと感じていたこと。
それを
「感じていい」としてもらえる場所が
なかったから、
性癖という形を借りて、
外に出てきただけだった。
性癖は、
人生が壊れていた証拠ではなく、
壊れないために
生き延びるために選ばれた反応
だったのだと思います。
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■ 静かな余白
もしかしたら、
性癖は
「おかしなもの」でも
「直すべきもの」でもなく、
心の奥に沈んでいた願いが、
身体を借りて
ようやく外に出てこられた形
なのかもしれません。
そう考えるようになってから、
わたしは少しだけ、
自分を責めなくなりました。
