性癖を持つあなたへ──否定しなくていい、でも大切にしてほしいこと
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■ 性癖を持つことに、戸惑っている人へ
性癖という言葉に触れたとき、
多くの人は、少し身構えます。
「こんなことで興奮する自分は変なんじゃないか」
「誰にも知られてはいけないものなんじゃないか」
「これって、怖いことなんじゃないか」
そう感じている人も、少なくないと思います。
性的に高揚する対象があるということ。
それが、ある特定の状況や行為、世界観と結びついているということ。
それ自体に、戸惑いが生まれるのは、とても自然なことです。
■ 否定しなくていい、ということ
わたしが、いちばん伝えたいのは
「性癖となっている事柄そのものを、否定しなくていい」
ということです。
たとえば、わたし自身の話をすると、
社会的には犯罪とされる行為や、
暴力的・汚い・苦しいとされる状況に、
性的な興奮を覚えてしまうことがありました。
それに気づいたとき、
強い嫌悪感や恐怖心を感じたのを、今でも覚えています。
「本心では、そんなことを望んでいるのか?」
「自分はおかしいのではないか?」
でも、時間をかけて向き合って、気づいたことがあります。
それは、
その行為そのものを“したい”わけではなかった
ということです。
■ 性癖は、感情が形を変えたもの
性癖として現れている事柄は、
そのまま「自分の願望」や「本音」と一致しているとは限りません。
むしろ多くの場合、
自分の中にあった感情が、
形を変えて外に出てきただけ
なのだと思います。
言葉にできなかった気持ち。
受け止めてもらえなかった感情。
押し込めてきた苦しさや孤独。
それらが、
性的な高揚という形を借りて
表に現れてきただけ。
だから、
-
それが犯罪行為に見えるものであっても
-
不潔・痛み・苦しさを伴うものであっても
それ=自分が望んでいること
とは限らない。
だからこそ、
性癖となっている事柄そのものを、
「気持ち悪い」「おかしい」と切り捨てなくていい。
大丈夫。
いいんだよ。
そう受け取れたとき、
行き場を失っていた感情は、
少しずつ、内側でほどけていきます。
それは、心にとっても、
とても健康的で、衛生的なことだと
わたしは感じています。
■ それでも、大切にしてほしいこと
ここでひとつ、
とても大切なことがあります。
わたしは、性癖をニュートラルに捉えています。
いい・悪いではない。
正しい・間違っているでもない。
ただ、そこにある反応。
でも、
他者を巻き込む場合だけは、話が変わります。
性癖がどんな内容であっても、
-
相手の明確な同意があること
-
関係性が対等であること
-
無理や恐怖を与えていないこと
これは、絶対に蔑ろにしてはいけない部分です。
同意のない行為や、
相手の心身を軽視する関わりは、
それがどんな性癖であっても、
決して肯定されるものではありません。
ニュートラルであることと、
無責任であることは、違います。
わたしは、
性癖を肯定するけれど、
マナーと配慮を手放さない存在でいたい。
そう思っています。
■ この記事を閉じる前に、置いていきたいもの
この記事を読み終えたあと、
もし、ひとつでも残るものがあるとしたら。
-
理解してくれる人が、ここにいるという安心感
-
自分の性癖は“変わっているけれど、おかしくはない”という感覚
-
性癖を人生の一部として生きている、わたしという存在の並走感
それだけで、十分です。
呼吸ができた。
少し、肩の力が抜けた。
そんな感覚が残ったなら、
この文章は、役目を果たせたと思っています。
わたしは、あなたを救いたいわけじゃない。
ただ、
必要な人の勇気や力になる場所でありたい。
判断は、あなたに委ねます。
来るも、去るも、自由です。
ここには、
正直で、ニュートラルなまま
生きている人間がいる。
それだけを、置いておきます。
